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工業力! 佐賀藩
は~ ここにあったんだ~…
カノン砲やアームストロング砲を自藩で作り上げた
佐賀藩の工業力はあの薩長をも一目置かせたことは
誰でもご存知だろうと思いますが、イギリス陸軍でさえ
まだ採用してないのに これを自藩で作り上げた・・
それも外国人顧問ってのを雇わず・・・

長崎砲台の警備はこれらを千門以上並べてたらしい。
(長崎警備は佐賀藩の仕事)
この先見性があったからか、かのペリーが恫喝しに来たときも
鍋島閑痩公はさほど驚かなかったとか・・・
このお殿様は学業鍛錬の教育が半端じゃなく
そのおかげか、明治新政府の要職には
外務大臣には 副島種臣
司法大臣には 江藤新平
文部大臣には 大木喬任
大蔵大臣には 大隈重信 ら四人も就いてる
それと 佐賀人は軍人になる人が多かったが
奇妙なことに会計検査院にも多いんだと・・・
葉隠遺風なのか正義感が強く硬骨逸話が多い。
汚職やえこひいきなど嫌う精神風土が染み込んでる
県民性なのからか・・・
<佐賀県人が歩いたあとは草木も生えん>
今でも口にする人がいて 非常に不愉快だったけど
こんなとこから来てるのかも知れない・・と思った次第・・・
決して近江商人や伊勢なんかの商売人気質なんか
から来る隣県のやっかみなど次元の低い話ではないよう
だと思います。
Posted by ねのひがま.
2012年04月23日17:30
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